震災発生

阪神や東日本の震災をテレビで見るたびに、いつかは自分の住む熊本でも起こるのではと思ってはいましたが、本当の意味での危機感はなかったことを、体験してから反省しました。

1回目の地震は奇しくも自分の誕生日であり、妻が手作りケーキで祝ってくれた直後でした。
激しい揺れで、棚の上のビンや調味料が落ち、観葉植物が倒れ、テーブルの上の飲みかけのグラスがどこかへ飛んでいき、何もできずに収まるのを待つしかありませんでした。
テレビでは、隣の益城町が震源地、震度7
西現在自宅のある西原村も震度6、被害大きい地域に居てしまった。

その後散らかった物をある程度片付け、その晩は余震を警戒しながらも家の中で過ごし、翌日はいつもの通り出勤
職場も色々と散らかっていたので掃除や片付け、記録の写真などを撮って、夕方退社

近くに住む先輩からの誘いもあり、15日は先輩家族と一緒に過ごし車中泊をすることに。
この時も車中泊までする必要があるのか半分イベント感覚の車中泊でしたが、これが命拾いする選択でした
就寝中の未明に起こった大地震
車の中でも命の危機を感じる揺れに動けず、少し収まったころに車外へ出て建物から離れた所に避難
寝ようか迷っていた屋内は、棚が倒れていて、もし寝ていたら…

辺りは真っ暗な中、余震も続き、震源地の益城町の方から地震が近づいてくるのがわかり、自分の足元を揺らし遠ざかっていく、そして、遠ざかった先の民家の崩れる音、瓦の割れる音、人の悲鳴が聞こえてくる。まさに地面が波打っていた。
あんな体験は一生に一度であってほしい

夜が明けてから、先輩の家から生活用品を引っ張り出し、村民グランドに移動
村民グランドは避難場所にはなっていなかったため、それほど避難者も多くなく、倒れて来るような危険な物ものもなかったため皆でそこへ避難することに。
避難場所の中学校も見に行きましたが、入り口で入場を断られました。

一通り避難を終えて自宅の確認と荷物をとりに行くと、家は窓が外れ、ガスタンクは倒れ、地面に亀裂、家に停めてたもう一台の車は停めてた場所から2mほど動いていたし、家に中は、まさに言葉を無くし唖然とするしかない状況、
一番悲しくなったのは、倒れた冷蔵庫から飛び出して潰れていた誕生日ケーキを見たときかも…

余震が続くので、屋内には長居せず必要な道具と食料品を持ってグランドへ戻りキャンプの用意。

夫婦でキャンプ好きが功を奏して、キャンプの道具は一通り揃っていたので、とりあえずの衣食住は確保
2日もすれば水と食料とガス缶は足りなさそうだったが、県外に住んでる友人や、地震の被害が少なかった地域に住んでる妻の家族が物資を届けてくれて助かりました。


翌日、グランドは震災被害のごみ捨て場になるということで、先輩の家族とは別れてそれぞれ避難することになり、妻と二人で避難生活開始

自宅は電気も水もガスもきてませんでしたが、屋根と壁はあるし、余震で倒壊するような被害もなさそうだったし、火事場泥棒とかの話もあったため、昼間は自宅、夜は別の広場で車中泊生活。

19日は妻の誕生日でしたが、その日から妻は出産準備のため里帰りとなり、1人でのサバイバル生活開始となりました。

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